「新規事業立ち上げ」の要諦(第1回:新規事業の定義と立ち上げのハードさ)/山下 厚
2025.10.22 COLUMN
#ビジネス戦略#新規事業
執筆:スカイライト コンサルティング株式会社 ディレクター 山下 厚
企業は、まさに激動の時代を迎えている
近年、世の中のあらゆる企業が競争環境の激しい変化に晒されている。その様相を表した「VUCA」という言葉は、2016年の世界経済フォーラム(ダボス会議)を契機に世界中で知られるようになった。Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)の頭文字をとったものである。当時の世の中は「VUCA World」と称され、未来予測が困難な時代を象徴するキーワードとして取り上げられた。
あれから約10年が経過した今、生成AIをはじめとするテクノロジーはさらなる劇的な進化を遂げている。カスタマーのニーズや行動様態も日々変化しており、かつて一世を風靡した製品やサービスが急速に陳腐化してしまうことも珍しくない。
日々のニュースやビジネス誌から様々な情報を得る中で、「数年前は想像もしなかったような事業が立ち上がり、世の中を席巻するかもしれない」と感じている方も多いはずだ。実際に、各種SNSやYouTubeをはじめとするメディアの発信力を活用し、斬新な発想から創り上げたビジネスを瞬く間に広く認知させることに成功したプレーヤーがいることも事実である。
例えば、米国の起業家であるイーロン・マスク氏の動向は非常に興味深い。その一挙手一投足は、まさに日進月歩という言葉がふさわしいだろう。Tesla社における電気自動車(EV)の開発を通じてソーラー発電社会への変革に挑戦したかと思えば、航空宇宙メーカーのSpaceX社にて火星の探索に注力する。直近では、自らが手掛けた生成AIサービスであるGrokを急成長させる中で、オープンソースの知識リポジトリであるGrokpediaの開発を発表した。従来のWikipediaに取って代わる可能性を示唆したことは、世界中を驚かせた。
社会全体を俯瞰しても、新型コロナウイルス感染症の影響もあり、人々の日常生活のスタイルは大きく変化した。オンラインでの会議が浸透したこともあり、数年前から全く変わらない働き方を続けている人の方が少ないのではないか。また、政治的な観点でみても、昨今の主要国における政権や政策の変化は身近なビジネス環境に予期せぬ影響をもたらし始めている。
2025年現在、企業はまさに激動の時代を迎えているのである。
激動の時代に、なぜ「新規事業の立ち上げ」を模索すべきか?
外的要因が複雑に絡み合う競争環境において、企業はこれまでの事業の柱だけで闘い抜くことが難しくなっている。幾多の実績を積み重ねてきた事業も、その進化の歩みが止まってしまうと衰退の一途を辿ることになる。持続的な経営を実現するためには、現状から進化した新たな価値提供のあり方を探索することが不可欠なのである。その意味で、将来に向けた成長の柱として「新規事業」を立ち上げる重要性がより一層増しているのだ。
だが、新規事業を立ち上げることは実際には容易ではない。特に、経験が乏しく勘所が掴めていない場合は、試行錯誤を重ねながら取り組むことになるだろう。既存事業の成功体験を当てにすることができないため、心理的な不安を伴うことも多い。新規で打ち出す製品/サービスは、うまくデリバリーすることができるのか。また、ターゲットとするカスタマーやクライアント企業にスムーズに受け入れられるのか。そして、今後の競争環境を闘い抜くための大きな収益の柱になり得るのか。
しかし、悶々と思索に耽っている間にも時間は過ぎていく。それどころか、せっかくのビジネスアイディアもある程度のスピード感で具現化しない限り、競争力を失ってしまう。行く手を阻む競合のいないブルーオーシャンへ踏み出そうとしたつもりが、競合他社に先を越されてしまうかもしれない。他社が先行する市場に後発で参入する場合、成果に漕ぎ着けるには膨大な労力と資金力が必要となる。
新規事業の検討に際しては、必要なプロセスを丁寧に踏むことが鍵になる一方で、常にスピード感を念頭に置きながら進めていかなければならない。今回から5稿にわたって、新規事業をスムーズに立ち上げるためのノウハウを記していく。まずは<第1回>として、新規事業の定義と立ち上げのハードさについて解説する。
「新規事業」の定義と、顧客への提供価値という視点
まず、「新規事業」の定義とは何だろうか。ふと問われた際に、うまく説明することができるだろうか。「新規事業」という言葉自体は、業務の現場において一般的に使われているものである。実際、ほとんどの方が聞き慣れているはずだ。しかし、筆者のコンサルティング経験からしても、その意義や本質を語られる機会はそう多くないと感じている。
新規事業について語る上でまず押さえるべきなのは、“顧客(カスタマーやクライアント企業)への価値提供”という視点である。新規事業を立ち上げる意義とは、顧客への新たな価値提供を通じて自社の未来に向けた成長を実現することにある。その際、フォーカスすべき時間軸は“現在”ではなく“未来”である。競争環境が変化するスピード感の早さを踏まえると、“現在”は提供していない価値を新たに提供するだけでは、“未来”の顧客には十分に価値を提供できない可能性がある。
現代経営学の概念を築いたとされるピーター・ドラッカーは、事業そのものを定義する際に「顧客にとって何の価値があり、何の欲求を充足するか」と説いた。自社が新たに打ち出したい製品/サービスという視点に捉われ過ぎると、顧客価値という視点が抜け落ちて失敗のリスクが高まることを示唆している。連載の中で後述するが、いわゆるプロダクトアウト型の新規事業だとしても、顧客価値という視点を意識することは必須である。
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